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私の釣魚大全

釣魚大全

私の釣魚大全

魚を捕らえる漁は、大漁に越した事はないと多くの人は考える。

一方で釣りは、騙しであり、浅はかであり、世を捨てた老人趣味という概念もなきにしもあらずである。

漁をするのは、人間が生きなくてはならないからである。何が何でも人は魚を獲る。最先端の技術を総動員して獲る。生きる為の本能である。

魚釣りは、「生きる為」には必要ではないと一見思える。
単なる暇つぶしであるし、何となく生業をさぼっている感覚さえ持つ。

しかし人間が生きる上で、豊かな感情は必要不可欠である。私は継続的な豊かな感情を持った人間を成功者だと感じる。

社会的地位、お金、出世、名声で、豊かな感情を維持する時代は終わった。

私は、それらを追求するあまりに、貧しい感情を継続している人間を多く見てきた。自分の心も他人の心も欺き続けて・・。

豊かな感情を得る為にやった事が、結果的に地位やお金や名声を生んだのであれば、順番は間違っていないと思う。

しかし地位、お金、名声、出世が目的になってしまっては、順番を間違えているし、本末転倒である。

魚釣りに戻りますが、生きる為には魚を殺して食べないといけない。
しかし、生きる為には豊かな感情を継続しなければ本当に生きているとは言えません。

この事は、先進国の人間に与えられた大きな課題でもあると思います。発展途上国(新興国)の彼らは、そういった余裕はありません。日々生き長らえる事に必死です。そこに豊かな感情などと言っている余裕はありません。(しかし、心の豊かさから言えば、彼らの方が豊かな感じを受けるのは、気のせいでしょうか。)

そうであればなお更な事、我々は感情をより豊かにすることが、責任であるとも思うのです。

つまり魚釣りは、生きる為に必要な豊かな感情の継続をする為に、大きな役割を担っているのではないか、という事です。

芸術やスポーツや音楽は、生きる為の第二要素と捕らえがちですが、本当は一番必要な要素なのではないかと思います。釣りもそういう事です。

魚を釣っては放し、釣っては放しをするC&Rは、残酷な一面を持っています。しかし、スーパーに並んでいる魚を見て残酷と感じる人は、まずいないと思います。

その感覚のギャップ、意識のギャップを埋めることが、必要です。

我々が生きる為には、スーパーに並ぶ魚が必要です。
しかし、川に泳ぐ魚も同じように必要なのです。

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